社会復帰
恒例になりつつある近況報告に参りました、とけちるです。
突然ですが、先月から働いてます。
紆余曲折ありましたが上半期のどん底からなんとか這い上がってきた頃、行き着く先はただ1つ。
「働かないと、何も解決しない」ということ。
生活は改善されない。
精神衛生は良くならない。
そうなると、子を迎えるというスタートにも立てない。
けれど、そう何度も同じ失敗はできない。
またどん底に戻りたくはないし、そうなればサポートに回るのはのーさん。
なので、求職に難を示す彼を説得させるためもあり、わたしは誓約をしました。
必ず、無謀な挑戦はしない、と。
この状態で仕事を探す時点で無謀だという矛盾は無視してください。
そして今回採用いただいたところの求人に辿り着くまでそう長くはなかったように憶えています。
深夜帯の事務ですが、立地や条件も良いことから応募の数は好調だと面接で伺い、あ〜ダメかもな。本当に受かりたいところに受かれた試しがないもんな。なんて途中から半ば諦めていました。
が、何故か採用されました。
働きやすくても、深夜帯は続けられる人が少ないということで、みな年代も近く、お局も居らず、優しくしてもらっています。
挫けそうになったとき、テディベアを買って励ましてもらっていたんですが、最近出番がなくなってきました。
そして、とりあえず1ヶ月。と買った定期券を延長したのが昨日のこと。
体調回復と社会復帰を同時に行い、尚且つ通院やカウンセリングを続けたこの1ヶ月は怒涛の生活でしたが、なんとかこなすことができました。
試用期間が終わると社員になり、生活費はほぼ折半する予定です。
そうすればのーさんの両肩にばかりのしかかっていた家計を担うことができる。
サイクルが整ってきたら、子を迎えたときの生活計画を練る予定ですが、コロナの影響で先月からまた面会禁止になってしまったのでどうなる事やらわかりませんが、すくすく成長してくれているようなのでひとまず安心です。
やっと、やっとスタートラインが見えた気がします。
本当に長かった。
何故いきなり働けるようになったのか。
細かい事はわたしにもわかりません。
生活のルーティンや家族とのタイムスケジュールを考慮して今まで昼間の仕事ばかりしようとしていて、それを思い切って自分が動きやすい夜型にしたのがよかったのか。
「朝起きられない」ことがずっと悩みで長年睡眠障害を患ってきたのに、「朝起きる」をやめちゃったら悩みが消えました。
「朝起きられない」の悩みはわたしの中で大きく、「怠け者」という呪いでもありました。
なのでこの悩みを放り出すことに抵抗がありました。
しかし、仕事が夜だからといってすべての予定を夜に入れられるわけでもないので、結局昼間にしかできない用事をこなすためには生活リズムを崩さないといけないのが夜勤のつらさではあります😂
友達とも遊べなくなるどころか、病院も市役所もatmすら行けない。
でもわたしにはこのリズムが合ってるように感じます。
いつも仕事が始まり1ヶ月もすればどんどん疲弊していくわたしですが、今回はその様子もなく、何よりのーさんがそんなわたしを見て安堵してくれていて。
あぁよかったな。って思っています。
この調子で良い方向に進めばいいなと願うばかり。
という近況報告でした😊
コロナなどで大変な生活ですがみなさまが少しでも穏やかな日々を過ごせますように。
まだまだ暑いのでお互い気をつけましょうね!
ではまた。
苦しい
前回に引き続き見苦しいので、不快になる方は閲覧を避けてください。
今日はカウンセリングと診察の日。
精神的には昨日と変わらず。
とても自力で病院まで行ける状態ではなかったのでのーさんに運転してもらい病院へ。
カウンセリングでは、細かに話した方がいいと思い、つらいけど、昨日ブログに書いたようなことを話しました。
カウンセリングの心理士さんは言いました。
「そんなに苦しまなくていいんですよ」
「その考えを変えないとずっとつらいままですよ」
わたしは頭が真っ白になりました。
そんなに苦しまなくてもいい事で、わたしは自らの考え方により自分を傷つけている、と?
しかもそれがずっと続く、と?
地獄だ。
「私、とけちるさんの良いところ、これからたくさん伝えていきます。あー、うまくいかないって思ってるでしょ?もう、笑ってください、いつもみたいに。(b´∀`)ネッ!」
みたいなことを言われ、今日のカウンセリングは終わった気がします(あんまり覚えてない)
きっと、何をどう言われても、うまく受け取れなかった。
そしてそれも、わたしの考え方が卑屈なせいなんだ。
なーんだ、原因はやっぱりずっとわたしだったんだな。
いい歳して、何年も仕事もできず、毎日もぐずぐず、育児もできてない。
なにひとつ、なにひとつ普通にこなせない。
カウンセリング前に自傷してくるアラサー女。
あなたなら、そんな自分を愛せる?
情けないと思わない?
本当に、自分がわたしだったとして、できることをわたしに向かって言ってる?
結局他人事だからそんなことが言えるのでは?
自分のために言ってくれてる言葉なのに全然納得できない。
大学を出て、就職して、仕事して、好きな服を自分のお金で買って、爪はキラキラしてて。わたしが手にしたいものを手にできてるあなたにわたしの気持ちなんてわからないよ。
なんて考えちゃうの。本当に最低。
わたしの考え方のせい、わたしのせい。
待ち時間の間もずっと涙が止まらず、周りの人は引いてただろうな。
診察でも簡潔にですが似たようなことを話しました。
先生は「環境の変化に戸惑ってるだけ。誰にでもあること。あなたのせいじゃないよ」と。
わたしの主治医、あっさりしているというか淡白というか。
でも今回はそれが良い方に働きました。
処方箋をもらい、薬局を済ませたらもう2時半。
遅めの昼食をのーさんと食べに行って、それからのーさんの仕事へ。
少し疲れたので、車の中で寝させてもらう。
起きたらのーさんと、話しました。
どうしてそんなに自分が嫌いなの?
どうしてそんなに、、、🤔
のーさんは悩ましそう。
そういや心理士さんも、カウンセリングの間
どうしてそんなに、って繰り返してたな。
そんなにわからないことなのかなあ。
自分を大事にしてって言われた。難しい。
進展がなくて苦しい。
来週の面会、憂鬱。
そんな自分がまたひとつ嫌になる。
自分が怖い
今日起こったこと、今思ってることを洗いざらい吐きます。
気分は最悪。うつの波が来ています。
不快になるかもしれませんので注意してください。
わたしは、ここ半年ほど落ち込む気力もなく、食事も水分も夫に言われないと自力ではとれませんでした。
5月の半ばから、暑い日が増えるのと比例するように食欲が少しづつ戻り、毎日昼過ぎからだけど畑仕事を手伝ったり、家から出られるようにまでなりました。
今月に入って娘の誕生日をお祝いできて、久しぶりに娘にも会えて、改めて娘がわたしの生きる糧なのだと実感して。
ぐんぐん元気を取り戻してきた。はずでした。
面会は午睡のあと1時間半ほどしか会えませんが、毎週会えるようになりました。
先週は、先々週(誕生日)に会えていたからギャン泣きほどまでいかず、元気に遊んでくれたし、わたしたち夫婦も全力で娘のおばけみたいな体力に付き合いました。
大変だけど楽しかったね、なんて夫と話しながら帰りました。
そして今週の面会は今日でした。
慣れない場所での面会なので、娘は場所見知りをします。
それでもなんとか、今日も他のもので注意をそらし(今日は、友人から娘のお祝いにいただいたクレパスを持っていったので)一緒にお絵描きしたりして遊んでました。
場所見知りしてぎこちない娘も時折笑顔を見せてくれるように。
しかし、今日は午睡が足りなかったのか、夫が抱っこしているときにぐずぐずが始まりました。
職員さんの名前を呼んであっち、かえる、おふとんと訴えてきます。
娘は眠くなると布団やタオルなど布を欲しがります。
タオルを与えたら一瞬落ち着きましたが、やっぱり眠いのかいつもの場所と職員さんが恋しくなり、職員さんの名前を何度も呼びながら泣きます。
もう面会も終わる時間だったので、そうだね、眠いよね、もう職員さん来るからね、と言いながら夫は娘を宥めていました。
娘の泣いてる姿を見て、わたしは、なんとも思いませんでした。
心が、無でした。
いままでも、だいぶ泣き声に耐性がついてきたな、落ち着いて対処できるようになってきたな。そういう場面はありました。
でも、無は初めてでした。
いやむしろ、少しいらついてたかもしれません。
なので、娘の相手は夫に任せました。
しばらくもしないうちに職員さんが迎えに来てくれて、娘は落ち着き、わたしたちは帰ることに。
帰り道、どんどん気持ちが落ちていきました。
今日はあんまり娘のこと可愛いと思えなかった。
自分のことでいっぱいいっぱいだ。
こんな状態で娘を迎えに行けるわけがない。
ネグレクトをしてしまうかも。容易に想像できる。
こんな親で申し訳ない。
娘は、もっときちんとした親元で育った方がいいのでは?
元々ない自信がどんどんなくなり、胸が苦しくて苦しくて仕方ない。
最低だこんなこと思うの。
しっかりやりたいのに。
なんでこんなにぐずぐずなんだ。
もう嫌だ、つかれた。
苦しい。すべてを放り出して楽になりたい。
何も手につかない。
お腹すいてないのにヤケになって食べちゃって気持ち悪い。
ざわざわして何を見ても情報が入ってこない。
涙がひたすらに流れてくる。過呼吸になってしまうから我慢する。でも止まらない。
よしよしつらいねって言いながらスマホで漫画読んでる夫が無理すぎる。
夫はもう寝た。
明日も早いから寝てって言った。
多分言わなくても寝た。
お休み3秒マンだから。心底羨ましい。
眠剤飲んでも2時くらいまで寝付けないのに。
ここに書くか悩んだ。
ここではきっと応援してくれて娘の幸せを願ってくれている人達ばかりだから。
きっとわたしが未だにこんなダメダメで落胆させてしまうだろうから。
ごめんなさい。
ハッピーエンドを願っている人達、そうならないかもしれないや。ごめんね。
今はそういう時期。落ち込む時期。そう思いたいよ。
でも、上の階から聞こえてくる子どもの泣き声でさえ煩わしく思っちゃう。
うるさいって叫んではり倒したくなる。
娘だいすきだいすきで今までやってきたのに、どうしちゃったんだろわたし。不安すぎる。
明日カウンセリングなので相談してきます。
きみのたんじょうび
こんにちは、とけちるです。
新型コロナウィルスの影響が、皆様にどう影響があったかはわかりませんが、我が家も確実に生活が一変しました。
まず、娘と面会できなくなりました。緊急事態宣言が発令された翌日。現在、娘を見たのはそれが最後です。
面会は午前の2時間に短縮され、2時間半かけて帰りました。
わたしはそれまで、娘との面会が生きる糧となっていました。小さな体から大きな生命力を感じながら、成長を楽しみにしながら、毎週それを楽しみに生きてきました。
次第に心はパサパサになっていきます。幸いなことに、娘は健やかに成長しているようで、電話での様子に思いを馳せながら、なんとか生きてます。そしてその事とは関係なしに繁忙期を迎えていくのーさんの仕事の手伝いで、日々忙殺されながら生きている現在でもあります。
先月末、緊急事態宣言が解除されましたが、こういった事例自体が稀なことから、今後の面会も目処が立っていません。
しかし、色んな方たちが、最前を尽くそうとしているのだろうと思いますし、わたしとしては娘の健康が何よりなので、ただ今は耐えるときなのだと、じっとしています。
まぁ、わたしがじっとしていられるのも、実は理由がありまして。
「誕生日には、なんとしてでも会ってもらおうと思ってます」と、前々から職員さんが言ってくれていたからです。
大変な時期なのに、本当にありがたいです。
娘の誕生には、日々感謝していますが、このタイミングで誕生日を迎えて、面会がわずかでもできること。娘、ありがとう。娘にどんなプレゼントをあげても、娘と会えるという娘からの特大プレゼントに適わなくて、めげそうです。(しばらく会えてないので、親馬鹿全開ですみません)
フォロワーさんのお子達も、どんどんと誕生日を迎える時期。本当に本当に、おめでとうございます。この時期は毎年TLが華やかで幸せで、元気をもらってます。
ツイートをしてなさすぎて、どんな顔してTwitterしたらいいのかわからず、低浮上に拍車がかかっていますので、ブログにて失礼します。
みなさんと、みなさんの大事な人が、健やかに日々を過ごせますように。
母として、娘として。
こんにちは、とけちるです。
早いもので2020年も4月を迎えました。
段々と暖かく感じる日も増えました。
今日も家を出たとき、外の空気が妙に生温くて、もう冬ではないのだなぁと満開の桜を眺めながら思いました。
さて今回は、アダルトチルドレン(以下AC)のわたしについての記録を残していこうかなと思っています。
今までも何度か親との関係を綴ってきましたが、現状としては絶縁しています。
父とも、母とも連絡をとっていません。妹もいますが、この3人の連絡先を全て一方的に、突然ブロックし、連絡を受け取ることもやめました。実家への未練を綴った手紙を燃やし、理想の家族像に縋り付く自分と決別することにしたのです。これを断行したのが去年の8月も末を迎える頃でしたので、かれこれ半年を越える程となりました。
今回重要なのはここではないので端的に書きました。とりあえず連絡先をブロックしている、その前提をもってここから話をします。
まず、断行後のわたしの心境としては「無」になりました。今までは連絡が来るたびに色々な記憶や感情を反芻しては苦しんで、自分の言葉も通じない相手とのやり取りに辟易し、心身をすり減らしていたのが、連絡を遮断することで、当然ながら波風自体が物理的に立たなくなり、ひたすら凪のような時間が流れる状態になりました。
そして、金銭的にも精神的にもひっ迫しているわたしは、日々家計や精神の安定に追われ、実家のことなど気に留めている余裕もなく、特に何も思うことなくこの4月までやってくることができました。
今年は特に精神的に落ちる波が来ていて、ただ生きるということがとても難しく、精神の回復・安定を図るために3月中の自宅宿泊を中止にしていました。(そのうち、コロナがやばくなってきたので、どのみち中止にしていたとは思いますが…)
それでも、週に1度の面会は続けていました。娘は健やかに成長していて、本当にそれだけが救いで。宿泊をしなくなったので精神的距離は少し離れた感覚も娘から感じ取れますが、面会を重ねてるお陰でそこまで離れることも無く、むしろ最近はとても懐いてくれるようになりました。
普段パパっ子の娘ですが最近はどうやらママブームのようで、昨日の面会時もほとんどわたしと遊んでいました。なんの用事もなく何度もわたしを呼び、わたしの膝に座ったり、乗っかったり、どこに行ってもあとをついてきたりしました。わたしも、昨日は元気だったので、全力で娘の相手をしました。できる限り触れ合って、抱っこして、高い高いして、好きだと伝えて、くすぐって、笑い合いました。娘が喜んでくれることをやれるだけやりました。お陰で、翌日の今日は筋肉痛で目が覚めました。
置いてけぼりで少し寂しそうなのーさんを横目に、娘を堪能し、幸せいっぱいで帰路に着きました。
そう、幸せいっぱいのはずでした。なのに帰りの運転では、涙が流れないようにハンドルを握りしめていたのでした。
何も知らず、わたしに甘えて、わたしの全てを許容してくれる娘の姿を見ていると、幼い頃のわたしを思い出す。何気なくわたしが娘にしていることは、かつて母がわたしにしてくれたことばかり。わたしは、母が大好きだった。母に抱っこをよくせがんでいた。母に抱きしめられるのが好きだった。母のよく着ていた服の匂いも大好きだった。母が家を出ていったあと、置いていったその服をタンスにしまいこんで、寂しくなったら取り出して匂いを吸い込んだら、悲しみが少し和らいだ気がした。
娘が羨ましい。わたしにも母が欲しい。母が恋しい。わたしは、ちっとも成長していない。幼い頃のまま。小学校に上がってもあんまり馴染めずにいた。帰り道、部団からはぐれて1人で帰っていると、向こうから母が迎えに来てくれた。そして、母と手を繋いで帰るんだ。何気ないことを話しながら。その時間が好きだった。そのときのままなんだ。今でも向こうから、母が来るのを待っている小さな子供。
今回娘に自分の影を見たことで、母への思いが爆発した。罪悪感も、実はずっとあって。父との絶縁はわりと簡単にできた。そんなに愛着はないし、諦めも早くついたけど、母との絶縁はわたしにとって容易ではなかった。家を出る前から、わたしだけが頼りだと言われ続けてきた。母は不器用だけど、心を偽らず、真っ直ぐに自分の気持ちを話してくれた。どれだけ父に求めてもくれなかった誠実さを母はできるだけくれようと努めていた。母親として、何もしてやれないけど。その言葉だけでも嬉しかった。家を出たあとも、父は良い顔をしなかったけど、母との交流は続けていた。わたしの言葉を否定せず聞いてくれた。鍋をつつきながら、テレビを見ながら、なんでもない話をした。そういう時間をくれた。でも、つらい部分もあった。母を母として頼ることができず、いつも先を立ち回り、いい子で居続けた結果なのだから、因果応報ではあるのだけど。成人し、わたしは精神を病んだ。元々病んでいる母まで、抱えることが出来なくなった。実家を出て県外に住み始めたわたしは、母と中々会えなくなったけど、頻繁にメールが来た。しんどいよ、とけちるちゃんと話したいよ、会いたいよ。その言葉たちがわたしを蝕んでいった。メールを無視していたら電話が来る。
母が好きだという過去の強烈な印象と、母の頼りになりたいと思う気持ちと、親子関係を築きたいと思う気持ちがあって、どうしても母への未練を断ち切れない。まだ、自分の中に残ってるんだ。どうして、自分は普通の親子関係を築きたいだけなのに。そう思うことは自然なことでしょ?なのに、どうしてかなわないのか。どうして、関わってもしんどくなって終わりなのか。わたしにだって、何気なく話したり、お互いを気遣ったりする母がほしいだけなのに。
帰り道、のーさんにこんな感じのことを話した気がします。自分で話していて、典型的ACだなと思いました、、笑
ACって言葉自体、成人してから知って、どういうものなのか詳しくわからないんですけど、どうやって克服していけばいいのだろう。今度カウンセリングで聞いてみようと思います。
こんな思いを、娘にはさせたくない。だから、怖い。母になることへのプレッシャー。でも同時に、母になることへの喜びも感じつつあって。色んな気持ちを娘に与えてもらいながら、母になってゆくのだな。そう思います。
というわけで、今回は自分の中にあった思いを娘が気づかせてくれたというお話でした。ぐちゃぐちゃの気持ちをぐちゃぐちゃのまま書いたので、もう支離滅裂ですが、もやもやしたきもちをそのままに伝えることができたらと思いました。
ざわざわする心の中。それでも桜は咲く。来年はどんな気持ちで桜を見ているのだろう。
就労支援
遅ればせながら新年あけましておめでとうございます。
早くも150日余り手付かずでございました。
ぐだぐたゆるゆる更新ですが今後もどうぞよろしくお願いします☺️
さてその空白の150日余りの間、本当に、本当ーーーに、色んなことがありました。
夏の8月、むにちゃんの自宅宿泊が開始!これからどんどん慣れていこうね!としていた矢先、
のーさんの仕事のパートナーの裏切り、住処を失い、半月間のーさん家に居候。ばたばたの引越し。ということが9月にありまして。
10月からは新居での生活。慣れることと並行しながらむにちゃんの宿泊回数を重ねていきました。
最初は一泊だったので、片道100キロの長旅を2日連続しなくてはならず、親はへとへと。この頃は本当に大変でした。
それが2泊に増え、3泊になり、年末年始は1週間、丸々過ごすこともできました。
昨年はRSが施設で流行り、面会も叶わなかった年末年始。初めての家族水入らず。夜勤対応など大変なこともたくさんありましたが、何より、むにちゃんとの距離がより一層縮まったような気がした1週間でした。
長い期間、何事もなく無事に過ごせました。わたしはもうずっと前から育児がわりと苦ではなくなってきていたので、それを証明できて嬉しかったです。
先の話をするのは、この年末年始次第だね、と話していたので、わたしたちは無事に次の段階へ進むことが出来ました。
そう、児童相談所と、迎えに行った後の話を、具体的に決めていく。という段階へ。
育児は、おそらくもうできる。わたしひとりでもできる。でも、主人の収入のみに頼る(=今の状況)では、わたしの自由にできるお金が1円もありません。
贅沢を言っている訳ではなく、わたしは美容院に行こうとしたり、毎日使う化粧水を買おうと思ったら、夕飯のない生活をしなくてはなりません。
ここ5年ほど無給でずっとやってきているので、全財産ほぼ尽き果てました。自分のものを自分でまかなうことができないのです。
日々抑圧されたストレスが爆発し、年末は自分の預金残高より大きい買い物をしてしまうところでした。実際、今使っているiPhoneも、自分で払う目処さえないのに分割で買ってます。
これはもはや育児ができるかどうかとか、育児云々関係なく、生きてるだけで気が狂いそうになるレベルです。
むにちゃんを一刻も早く迎えに行くことは勿論、それができるならそれに越したことはないと思ってます。
でも、大事なのは迎えに行ってから、その後に続く生活なわけで。
「自分は自営業で時間に融通が利く。自分が平日保育園の送り迎え含めて家事育児をやるので、とけちるさんはばりばり仕事して家計の負担をメインでやってみてはどうか」とのーさんが提案してくれました。
なるほどたしかにわたしはキャパ狭いし家事育児仕事を両立するより仕事に専念した方がいいんだろう。
収入があったら余裕ができる。余裕ができたらQOLが高まる。生活の、そして精神衛生の安定に繋がる。そう大事なのはお金!それでいこう!となりました。
そこで立ちはだかってくるのが最大の壁、社交不安障害。
カウンセリングを始めてからメンタルが落ち込むことが減って、いいかんじにきてはいるのですが、クローズで就活することに限界を感じていまして。
調べたところ、近所に就労支援センターなるものがありました。
そこでは就労の支援から継続支援などをしており、わたしも是非支援を受けたい!と本日相談してきました。
センター長の方も担当の方も、すごく良い方で、わたしの話を拒絶も否定もせず聞いてくれました。
社交不安障害をオープンにして、理解のある職場で働くには、障害者枠求人を狙う必要があります。
それらの求人に応募するには障害者手帳が必要になってきて、その手帳を取得申請するには医師の診断書が要るのですが、、
実は中々先生には働きたい意思が伝わっておりません;;(∩´~`∩);;
そんなに急ぐことなの?まず迎えに行くことが先だよね?
至極真っ当な意見です。病気のために人と話すことがまずめちゃめちゃしんどくて緊張して不安でいっぱいなので、そう言われると自分の意見が言えなくなり、何故働きたいと思っているのか。それが生活の安定に繋がり、むにちゃんとの生活の基盤にもなる。そう思うことがいけないことのような気がして、施設に預けてるということはつまりそれだけで罪人だと思われてるんだろうなと。悲しくなって、つらくなって、何も言えなくなってしまうのです。
幸いなことに、児童相談所の担当の職員さんも、乳児院の先生も、わたしたち夫婦のプランを了承してくれています。わたしたちのペースで、わたしたちのスタイルをつくっていくことを理解してくれて、焦らず着実にやっていきましょうね。と仰ってくれていています。
勿論、計画が前後することは想定しています。
就職もそう簡単なことではないでしょうし、今年の保活が成功したらその時点でわたしが就職できてなくてもむにちゃんを迎えに行くつもりです。
むにちゃんを迎えに行くことを蔑ろにしてるつもりはないんです。世界で一番大好きで大事な存在。成長を見逃したくない、毎日一緒にいたいに決まってます。
ただ、今何も解決してない状態で迎えに行っても本末転倒だし、ハイ失敗しましたーまた預けますーなんてこと、絶対にできないわけですから、生活を安定させたい。
ちゃんと説明できてないわたしも悪いんですが先生の言い方もあまりよくなくって、いつも口をつぐんでしまいます…。
でも今回は、ちゃんと言わなきゃ。
次の診察に主人と、就労支援センターの担当の方も同行していただけるので、がんばります。
長くツイッターを見てもらってる方には、ずっとご心配をおかけしていると思います。言いたいこともたくさんあると思います。ですが、わたしものーさんも、より良い未来のために、自分たちなりに進もうと頑張っていますので、引き続き見守っていただけたら嬉しいです😌
亡霊を撃て
先日、以前から気になっていた「毒親サバイバル」という本を買いました。
11人の様々な人生が描かれていて、わたしとしては共感もあり参考にできるところもあり、やっぱり買ってよかったので、のーさんにも読んでもらいました。
その後、親子関係についての話をしていて、その中で「そういえば父との関係でももやもやが続いてて...」という話題になりました。
というのも、父に初めて言葉が通じた日があり(※過去記事参照)、わだかまりは残ったものの父の言い分もそのとき聞けて、もしかしたら関係が良くなるかもしれない。それなら、今まで無視していた連絡も、無視せず取らないといけないと思ってて、ついこないだわたしの誕生日に父から電話があったのでした。
そのときの内容は体調はどうか等のありふれたもので、しかしその中で子育てについて口出しがあったりして、わたしは父に拒絶されるかもしれないという想像しかできず、自分の気持ちを全く言えずに、気を遣っただけの電話で終わってしまってとても疲れたのでした。つまり和解する前と全くやりとりが変わってなかったのです。
その一方的で気遣いの感じられない言葉からは、やっぱり父はわたしを見ていないのでは?愛がないのでは?どうしていつまでもこんなに苦しいんだろう?と最近とてももやもやしていまして。
それを話すと、のーさんは愕然としました。
「子供を優先せず、自分のことしか考えてない。そんなのは親じゃない。家族じゃない。許さなくていい、怒って、罵って、こちらから捨てていいものなんだよ」とのーさんに言われ、今までも何度も何度も捨てようとして、それでもずっとポケットの中で握りしめていた呪いがあることに気づきました。捨ててしまうと、本当に家族でなくなってしまう。1人になってしまう。わたしはずっと家族の幻想に縋っていたのでした。
「そろそろ、楽になってもいいんだよ」
のーさんの言葉が胸に響き、わたしは思いつきました。アダルト・チルドレンとしての自分を背負っていくことは考えても、決別するという選択肢がありませんでした。今までどう切り離して、割り切って、捨てればいいのかわからなかった。わたしはひとつの答えを出しました。
それが『お別れ会』です。今までの良かった事、悪かった事、全部、棺に入れます。そのひとつひとつに、花を添えて、今までありがとうと告げて、火を焚べ、葬り去る。
めっちゃ心残りあります。「普通の親子」を経験してみたかった。父母に、親らしさを求められないなら、せめて一個人の人間同士、尊重しあって生きたかった。諦めたくなかった。でもその気持ちとも、もうお別れ。
思えば祖父母が亡くなり、のーさんに出会い、義父に拾ってもらって実家からの亡命が叶った時点でわたしは人生を捨てるべきでした。家族なんてものはそもそも最初から存在してなかった。わたしが作り上げた幻想しか最初からなかったのだから。
お別れ会は全ての思いを認めた手紙を書き、それを燃やすという手段を取ろうと思います。
そして、今そばにいてくれる・自分を大事に思ってくれる人を、もっと大事にしないといけないなと思いました。
「家族はここにいる。どんなことがあっても、そばにいるから」と言ってのーさんはわたしを抱きしめました。わたしはそのとき「当たり前に愛情をもらってきた人は当たり前に愛情を与えることができるんだなぁ」なんてぼんやり考えていました。いつかわたしものーさんのようになりたいです。