とけちるのブログ

今までのこと、日々のこと、思うこと。

母として、娘として。

こんにちは、とけちるです。

早いもので2020年も4月を迎えました。

段々と暖かく感じる日も増えました。

今日も家を出たとき、外の空気が妙に生温くて、もう冬ではないのだなぁと満開の桜を眺めながら思いました。

さて今回は、アダルトチルドレン(以下AC)のわたしについての記録を残していこうかなと思っています。

今までも何度か親との関係を綴ってきましたが、現状としては絶縁しています。

父とも、母とも連絡をとっていません。妹もいますが、この3人の連絡先を全て一方的に、突然ブロックし、連絡を受け取ることもやめました。実家への未練を綴った手紙を燃やし、理想の家族像に縋り付く自分と決別することにしたのです。これを断行したのが去年の8月も末を迎える頃でしたので、かれこれ半年を越える程となりました。

今回重要なのはここではないので端的に書きました。とりあえず連絡先をブロックしている、その前提をもってここから話をします。

まず、断行後のわたしの心境としては「無」になりました。今までは連絡が来るたびに色々な記憶や感情を反芻しては苦しんで、自分の言葉も通じない相手とのやり取りに辟易し、心身をすり減らしていたのが、連絡を遮断することで、当然ながら波風自体が物理的に立たなくなり、ひたすら凪のような時間が流れる状態になりました。

そして、金銭的にも精神的にもひっ迫しているわたしは、日々家計や精神の安定に追われ、実家のことなど気に留めている余裕もなく、特に何も思うことなくこの4月までやってくることができました。

今年は特に精神的に落ちる波が来ていて、ただ生きるということがとても難しく、精神の回復・安定を図るために3月中の自宅宿泊を中止にしていました。(そのうち、コロナがやばくなってきたので、どのみち中止にしていたとは思いますが…)

それでも、週に1度の面会は続けていました。娘は健やかに成長していて、本当にそれだけが救いで。宿泊をしなくなったので精神的距離は少し離れた感覚も娘から感じ取れますが、面会を重ねてるお陰でそこまで離れることも無く、むしろ最近はとても懐いてくれるようになりました。

普段パパっ子の娘ですが最近はどうやらママブームのようで、昨日の面会時もほとんどわたしと遊んでいました。なんの用事もなく何度もわたしを呼び、わたしの膝に座ったり、乗っかったり、どこに行ってもあとをついてきたりしました。わたしも、昨日は元気だったので、全力で娘の相手をしました。できる限り触れ合って、抱っこして、高い高いして、好きだと伝えて、くすぐって、笑い合いました。娘が喜んでくれることをやれるだけやりました。お陰で、翌日の今日は筋肉痛で目が覚めました。

置いてけぼりで少し寂しそうなのーさんを横目に、娘を堪能し、幸せいっぱいで帰路に着きました。

そう、幸せいっぱいのはずでした。なのに帰りの運転では、涙が流れないようにハンドルを握りしめていたのでした。

 

何も知らず、わたしに甘えて、わたしの全てを許容してくれる娘の姿を見ていると、幼い頃のわたしを思い出す。何気なくわたしが娘にしていることは、かつて母がわたしにしてくれたことばかり。わたしは、母が大好きだった。母に抱っこをよくせがんでいた。母に抱きしめられるのが好きだった。母のよく着ていた服の匂いも大好きだった。母が家を出ていったあと、置いていったその服をタンスにしまいこんで、寂しくなったら取り出して匂いを吸い込んだら、悲しみが少し和らいだ気がした。

娘が羨ましい。わたしにも母が欲しい。母が恋しい。わたしは、ちっとも成長していない。幼い頃のまま。小学校に上がってもあんまり馴染めずにいた。帰り道、部団からはぐれて1人で帰っていると、向こうから母が迎えに来てくれた。そして、母と手を繋いで帰るんだ。何気ないことを話しながら。その時間が好きだった。そのときのままなんだ。今でも向こうから、母が来るのを待っている小さな子供。

今回娘に自分の影を見たことで、母への思いが爆発した。罪悪感も、実はずっとあって。父との絶縁はわりと簡単にできた。そんなに愛着はないし、諦めも早くついたけど、母との絶縁はわたしにとって容易ではなかった。家を出る前から、わたしだけが頼りだと言われ続けてきた。母は不器用だけど、心を偽らず、真っ直ぐに自分の気持ちを話してくれた。どれだけ父に求めてもくれなかった誠実さを母はできるだけくれようと努めていた。母親として、何もしてやれないけど。その言葉だけでも嬉しかった。家を出たあとも、父は良い顔をしなかったけど、母との交流は続けていた。わたしの言葉を否定せず聞いてくれた。鍋をつつきながら、テレビを見ながら、なんでもない話をした。そういう時間をくれた。でも、つらい部分もあった。母を母として頼ることができず、いつも先を立ち回り、いい子で居続けた結果なのだから、因果応報ではあるのだけど。成人し、わたしは精神を病んだ。元々病んでいる母まで、抱えることが出来なくなった。実家を出て県外に住み始めたわたしは、母と中々会えなくなったけど、頻繁にメールが来た。しんどいよ、とけちるちゃんと話したいよ、会いたいよ。その言葉たちがわたしを蝕んでいった。メールを無視していたら電話が来る。

母が好きだという過去の強烈な印象と、母の頼りになりたいと思う気持ちと、親子関係を築きたいと思う気持ちがあって、どうしても母への未練を断ち切れない。まだ、自分の中に残ってるんだ。どうして、自分は普通の親子関係を築きたいだけなのに。そう思うことは自然なことでしょ?なのに、どうしてかなわないのか。どうして、関わってもしんどくなって終わりなのか。わたしにだって、何気なく話したり、お互いを気遣ったりする母がほしいだけなのに。

 

帰り道、のーさんにこんな感じのことを話した気がします。自分で話していて、典型的ACだなと思いました、、笑

ACって言葉自体、成人してから知って、どういうものなのか詳しくわからないんですけど、どうやって克服していけばいいのだろう。今度カウンセリングで聞いてみようと思います。

こんな思いを、娘にはさせたくない。だから、怖い。母になることへのプレッシャー。でも同時に、母になることへの喜びも感じつつあって。色んな気持ちを娘に与えてもらいながら、母になってゆくのだな。そう思います。

というわけで、今回は自分の中にあった思いを娘が気づかせてくれたというお話でした。ぐちゃぐちゃの気持ちをぐちゃぐちゃのまま書いたので、もう支離滅裂ですが、もやもやしたきもちをそのままに伝えることができたらと思いました。

ざわざわする心の中。それでも桜は咲く。来年はどんな気持ちで桜を見ているのだろう。