とけちるのブログ

今までのこと、日々のこと、思うこと。

心境の変化

こんにちは、とけちるです。

カウンセリングに通い始めて数ヶ月。今回は改めて記録を残していきたいと思います。あくまで個人の体験談で、他の病院や心理士さんでは考え方が違う場合がありますので参考程度に読んでくださいね。

わたしの場合、頻度は月に2〜4回。臨床心理士さんとお話をします。内容については、心理士さんが引き出してくれるので、その流れに任せて気取らず思ったことを話す感じなのですが、手応え(進展)があったなと確信できる日もあれば、そうでない日もある。深層心理に触れていくというのは地道で繊細な作業だし、本気で治したい・現状を変えたいという強い意志と根気が必要です。そして見たくない過去に触れていくので、心理士さんと話しているその場は大丈夫でも、家に帰ったあとなど緊張が解けたときに一気に疲れが来ます。そして思い出した記憶が反芻してきて、精算しきれていない怒りや悲しみが渦巻いたりします。カウンセリング時間は1回50分と短いので、なるべく成果が欲しければ毎週など数こなすのが1番なのですが、脳を酷使する作業にもなりますし、まず毎週病院に行かねばならないというのがそもそも大変だったりで、月2〜が限界な現状です。

わたしの目標としては、病気の完治・寛解ではありません。正直、それは(今のところ)無理なんじゃないかと思ってます。目標に掲げるにはあまりに道のりが果てしなくて、今まで到達しなかった挫折もありますから、まず「あの電柱まで行こう作戦」として、「生きづらさを少しでも減らす」を目指しています。そのためにわたしはカウンセリングを選びました。

ではカウンセリングは一体どんな感じなのかといいますと、わたしは最近起こったことや感じたこと、考えたこと等々を話します。直近だと「娘が初めて自宅に宿泊してくれて、滞りなく済んだので母親として自信がついてきました」と、わたしは言いました。すると心理士さんは「今まで母親として自信がなかったということですね。とけちるさんは、“母親として〇〇でなければならない”と思うところはありますか?」と訊いてくれました。そしてわたしは、幼い頃はとても母親っ子で、そのとき母がくれた愛情を注げるような母に、わたしもなりたい。という思いと、離婚して子を捨てた母のように、わたしは子に淋しい思いは絶対させたくない、負担になりたくない、心に傷を負わせたくない。という、【なりたい】と【なりたくない】母親像に板挟みにされてることに気づいたのです。

その他にも、「どうしていつも自分より他人を優先してしまうのか」「人からどう思われているのかを過剰に気にするのか」「意見を言うより波風を立てないことを選んでしまうのか」など、性格が構成された経緯も、過去から少しずつ紐解いていくことができます。「自分が家族に何を求めるのか」ということからも、「自分に足りなかったもの」を読み解くことができたりもします。

「はじめての挫折はいつでしたか」「そのとき、支えてくれる人はいましたか」など、すごくわかりやすく、凝り固まった全身を各部位から解していくプロマッサージ師さんのように、少しずつ、心理士さんは過去をわたしから引っ張り出してくれて、順序立てて「どうしてそうなったのか」を一緒に考えてくれます。

そしてときには「それは、家庭が正常に機能していれば、受ける被害ではなかった」と冷静に言ってくれますので、「わたしがつらいと思うのは正しい感情だったんだな」「わたしが歪んでるのはわたしのせいじゃないんだな」と改めて認知することができます。

さらに前回では、『母とわたし』という過去の親子関係に囚われて、『わたしと娘』にフォーカスが当たってなかったことにも気づきました。両者は全くの別物で、切り離して考えるべきなのに、受けた愛情と与えられなかったものが自分のなかで強烈に残っているせいで『自分は自分の理想の母になりたい』という思いに押し潰されそうになっていました。

わたしは、わたしの母ではない。そして娘も、他の誰でもない。わたしと娘だけの時間を、もっと過ごしたいと思えるようになりました。

これから、より娘を迎えに行くことに邁進できる。ひとつ進展した。そう思うとメンタルも先月よりは落ち着きました。この調子で、落ち過ぎない日々を維持出来るように、自分の人となりを理解し、自分を傷つけず、自分に合った生き方と現実のすり合わせをしていけたらと思います。

今回、初めての自宅だったので1泊でしたが、来月は何日か日を延ばし、娘に自宅に慣れてもらい、そしてわたしも育児を日常化することに慣れていけたらと思っています☺️💗

最近の様子はこんな感じです。長くなっちゃいましたが、今回はこの辺で!また朗報を聞かせられるように頑張ります。

ジェンダーレスについて

こんにちは、とけちるです。

わたしの心身状態について、近況にさほど進展はなく、むしろ危機的状況かもしれません。というのも、今回また仕事という生きるために避けられない出来事を乗り越えられなかった件について、あまり悲しんでない自分がいるのです。今までは大変悔しく、悲しく、情けなく、自分を責めて責めて自ら堕ちていってました。が、今回は、何ともありません。まるで感情が欠落してしまったように、何も感じません。だからこそスパンと辞めることを決められたのかもしれません。ただただ、虚無感だけがここにあります。自分は何も為せないという無力感。今は頑張ろうとか何かをしようとか考えられなくなってしまいました。だって行動すれば失敗するし、メンタルも身体も生活も破綻するし。自分にも、未来にも、期待することに疲れました。

と、いったように、虚無と無力感で包まれた胸中ではありますが、明るく振舞ってツイートできるくらいにはなったので、なるべく通常運転でツイッターはやっていきたいなと思ってます。たまに暗黒面が滲み出てきてたらごめんね。

というわけで自分のことを書くと暗〜い内容で終わってしまいそうなので、今回はひとりごとを。

 

最近ジェンダーレスという言葉をよく耳にします。

今日はそのジェンダーレスである、とあるお方の写真をネットで見たんですけど、まぁ美しいんですよね。

見た目の美貌はもちろんですけど、そのひとが纏っている美学が、美しいと思いました。

だって普通は、女らしさ、男らしさを基準に人は生きていますよね。

でもジェンダーレスのひとたちは違う。

着たいものを着る、化粧は好きだからする、といったように、自分がどう生きて何を選ぶかを、性別や女らしさ男らしさに委ねない。かっこいい。

かく言うわたしも、女らしさだとか男らしさだとか、煩わしいと思っていた時期がありました。でも、世間との認識のズレとか、どんなに頑張っても女って枠から抜け出せない現実などに嫌気が差し、いまは普通の女として生きてます。楽だからです。女っぽい服を女の服コーナーから選んで着ればいいだけだし。あのころからジェンダーレスという文化があったなら、もっと自由に選べて自分の色を自分でカスタムしていくことができたのかなあ。なんて。

今はまだまだマイノリティだけど、娘のころには、色んなことが認められるし選べるのが当たり前って流れになっていたらいいなと思います。娘には娘だけの色を、色んなことに囚われず自分でカスタムしていってほしい☺️

どん底

ご無沙汰してます、とけちるです。

今回は何故メンタルを壊したのか、その経緯と現在の心境を記録していこうと思います。

まず時を遡り、6月中旬。わたしは仕事を始めていました。

またか、と思われるかもしれません。

でも今回は色々と、練りに練って周りを固めていました。

4月に仕事を辞めたとき、身体はぼろぼろになったけど、精神的には限界ではなかった。辞めてからもそこまで落ちず立ち直りが早かった。それも自分の中では大きかったです。

3月からカウンセリングを始めて、徐々にメンタルが向上してきてる感覚がありました。

そんなわけで、珍しく今回は自信やバイタリティというものが少しはわいている状態で、自分なりに慎重に丁寧にメンタルやフィジカル面を作り上げて仕事に臨んでいました。

ですが、結論から言うとダメでした。しかもその理由が、何年も前から何度も経験している【新しい環境に慣れるために極度のストレスがたまり生活に支障をきたす】というものでした。

結局、どれだけ努力して自身を向上させても、何年も前から同じ理由でつまずき続けていて、進展していないではないか。

ここ最近上り調子だったからこそ、自分なりに綿密に計画を立てて臨んだからこそ、この失敗はかなりメンタルに響きました。

今までは、悲しいとか悔しいとかだったんですが、今回は、ただただ虚しいです。

自分の人生なのに、自分でどうこうできる力がないって、虚しいですね。

精神が破綻して10日が経ちましたが、未だにどん底のままです。

平気なフリはできるんですが、心の底から喜んだり笑ったりっていう、そういう感情は落っことしてしまったようです。

明日むにちゃんに会える日なのに、心の底から楽しみだと思えない。最低ですね。楽しいっていう感情が消えてるんです。

みなさんは幸せですか?幸せを幸せと思える心って、持ちたくても持てないんだなって失って気づきました。自分がどん底だからこそ、こんな気持ちは味わって欲しくない。みんなの幸せを願ってます。

闘いは次のステージへ

こんにちは、とけちるです。

最近、中々ツイッターを開けません。

それは毎日のーさんの畑へ付いていってることもありますが、1番の理由は別にあります。

それは、眠気です。

わたしは長年不眠症で、薬に入眠と熟睡を手助けしてもらってます。

そのわたしが、薬なしで朝までぐっすりなのです。

相変わらず入眠には時間がかかるので早く床へ就かねばなりませんが、日付をこえるころには大体寝ており、トイレで目が覚めるのが5時か6時ごろ。そんなに連続で夜寝れる日が何日も続くなんてことは、この数年なかったのです。

しかも厄介なことに、昼間も眠いんです。

あぁ眠たいな、ではなく、耐え難い眠気。

眠くて眠くて、徹夜明けしたときのような頭痛や吐き気もする。

耐えきれずお昼寝したら、1時間半は寝てしまいます。

それでもすっきりするのは寝起き30分ほどしかもたず、早ければ2〜3時間でまた寝る。

寝てる以外は眠い。

ここまでいつも眠いと、常に機嫌は悪くなってしまうし、すべての能率は落ちてしまう。

困り果てたわたしは、精神科で相談しました。

すると、先生は言いました。

「おそらく、回復期に入ってます」と。

急性期、回復期、再発予防期。

このように、うつ病は大まかに三段階のステージに分けることが出来るのですが、どうやら急性期を経て回復期に入ったようなのです。

そしてわたしの場合、それが眠気として大きく出ているのでは、と。

今まで使い果たしたエネルギーや損傷した脳を眠ることで回復させているみたいです。

メンタル面ではだいぶマシになってきたというのに、体力が追いついてこないこの回復期。なかなかつらいです。

「うつは治りかけが1番やばい」(致死率が高い)

と聞いてはいましたが、まさかここまでつらいとは。

今このときに、いかに回復に集中できるかが、今後の回復の早さや再発予防に関わってくると先生に念押しされました。(再発しまくってるので...)

とはいえ生活は続くし、家計もやばいままで、働かねばならない状況には変わりなく。

来月からまた働きます。夏場は暑くてお昼間に畑作業ができないので、その合間に数時間程度ですが。

お金に余裕があることで心にも余裕ができて、メンタルも安定する。

そんな日々を夢見ています。

【朗報?】父と和解しました

‪父との関係 - とけちるのブログ https://toketetiru.hatenablog.com/entry/20190329/1553817656‬‪

 

上の記事で書いてますが、わたしは父と折り合いが悪いです。

娘を妊娠中に、もう耐えきれないと思う出来事があり、2017年の年の瀬に、絶縁するとLINEで宣言しました。既読無視だったので、トークを消し、アカウントを非表示にしました。それから、何度か電話がありましたが、全部無視。

そんな状態から、進展がありました。きっかけは、昨日の昼間。父から着信がありました。

無視しようかとも思いました。父と関わるとろくな事がないし疲れるし。でも、連絡をしてくるということは、今後も関わり合いを持ちたいということなんだろうか。いつまでも避けてモヤモヤが解消しないのもしんどいな...。

色々考えたのち、渋々電話をとりました。「話がある。今度の日曜日休みだから、そっちに行く」とのことでした。話って何?と聞いても、とにかく会って話したいとの一点張り。

ていうか、絶縁宣言したよね?なんでなんともなかったように電話してくるんだろう。その態度がもう嫌だ。何考えてるかわかんない。せめて、何を考えてるのか知りたい。今後わたしと関わりたいのか、関わるつもりなら、今みたいな気持ちでは関われない。ちゃんと聞いてもらえなくてもいいから、全部話そう。それでもとんちんかんなことを言うなら、改めて今度は眼前で絶縁を宣言しよう。と思い立ち、日曜まで待てなかったので車で2時間ちょいかけて実家へ。

 

帰ると妹がいたので、先に事情を説明。

間もなく父帰宅。どう切り出していいかわからず、無言。しばらくして妹が「今日は話があるんだって」と助け舟を出してくれました。

それから、父が「(のーさんの)仕事は順調か」「娘は元気か、一緒に暮らしてるんだろう?」と言いました。「いいえ、暮らしてません」とわたしが言うと「なんでや」と返ってきました。わなわなと震える手をおさえながら、「どうして?娘を妊娠して、報告したとき、あなたは目も合わせず、おめでとうの一言もなかったのに。そのあなたに、娘とのことを、とやかく言われたくはない」なるべく静かに答えたかったのですが、語気が強くなってしまいます。

父は、ちょっと待ってと言って部屋を出て、ひとつの鞄を持って戻ってきました。そこから14年前の書類を取り出し、「これのせいで、俺は大変だったんだ」と説明を始めました。

父の主張によると、祖父(父の父)と叔父(父の弟)の共謀で金銭的に苦しめられ、家族から孤立し、精神的にも余裕がなかったと。しかし祖父が亡くなり叔父とも自然と疎遠になり、父を苦しめていた諸悪の根源が消え去って、問題解決した頃には、もうわたしとの関係なんてとっくに崩壊していた。

次に電話をとってくれたとき、ちゃんと話そうと思っていた。全部説明して、土下座しようと思っていた。でもずっとわたしが避けていたから、今になってしまったと。

わたしが家を出ることになったときだって、悩んだ(らしい)

やっと電話に出てくれて、声が出てるんならよかったと思ったと言われました。(実家にいたときから失声症になったりしていたので)

「入籍したときだっておめでとう無かったじゃん」には「だって報告なかったし」と。

「妊娠報告におめでとうが無かったのは?」には「お前自身の妊娠の話だなんて思ってなかったんだよ、だって子供いらないって言ってたし」と...。

とにかく、父の事情は聞けたし、妙な勘違いやすれ違いなどあったけど、問題なのは今後のことで。

今後は、もう嫌な思いはしたくないし、コミュニケーションがちゃんと取れないなら、関わらないから。

と、言うと、父は頷きました。

初めて、父に、言葉が届きました。

 

2時間ほど話したあと、また帰らなければならないので、切り上げて帰りました。

帰りは2時間半かかりました。車の中で1人、ぐるぐると考えていました。

苦節20ウン年、やっとこのときがきた。

一生来ないかもしれないと思っていた、父に自分の気持ちを話し、尚且つ父も話してくれる日が、こんなにあっさり、来るなんて。

嬉しい気持ちにまではならなかった。どこまで通じたのかわからないし、人間そうそんなに簡単に変われないから。期待しては裏切られて。いつもそうだったから。

でも、父と話したのに、いつものどうしようもない怒りやもどかしさがこみあげてこないだけでも、それはすごい進歩で。

絶縁宣言をしたあの日非表示にしたアカウントを、トーク欄に復活させた。

「今日は話ができてよかったよ、話してくれてありがとう」と、恐る恐る送ってみた。

いつも通りの既読無視かと思ったら「道中気をつけて、来てくれてありがとうね」と返事が来た。絵文字付きで。

わたしね、初めて父から返事をもらうんです。しかも、相手を思い遣った言葉と、ありがとうが添えられてある。

ありふれた、親子の会話。

望んでいたはずの光景に、まだ現実味がなく、薄気味悪ささえ感じてしまう。

なれるんだろうか、今からでも。

思い遣りを持ち合える関係に。

期待するのが怖い。

なので、程々に、今後の動向次第で接していこうと思います。

父のことは、まだ許せていないけど。

いつか許せるようになるのかな。

知能検査を受けてみました

こんにちは、とけちるです。

先月、自分の性質を知る一環として、カウンセリング内で知能検査を受けました。

今日結果が返ってきまして、その結果がすごくわかりやすくて良かったのでシェアしたいと思います。

受けた検査はWAIS-IVです。

 

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これは実際のわたしの検査結果用紙です。

この知能検査では4つの分野から見ていきます。平均のIQで見ると同年齢の平均基準値でしたが、こまかい分野で見ていくと、物の見事に得意分野と不得意分野で、きれいにIQが分かれました。

4つの分野のうち、言語(得意)、ワーキングメモリー(普通)、知覚推理(まぁ苦手)、処理速度(めっちゃ苦手)に分かれていたのです。

2枚目では、得意順に並べ替えられており、それぞれのIQ差が数値で表されております。

得意分野であるはずの2つ内だけでもIQ差が15もあり、1番得意な言語能力と1番不得意な処理速度に至っては、33ものIQ差が。

こんなに差が激しいというのも珍しいと言われました。全体の5%くらいだと。

人はIQが20違うと会話が成立しないという俗説もあります。

わたしの場合、その会話不成立が自分の中で起こっていました。

ここまで数値に差が出てしまうと、得意分野はすごくできるのに、一方で苦手な面は全然できない。ということになってしまい、一面だけを見てがっかりされたり、怠けてると思われたり、自分自身もどうしてできないんだろうと嘆いたりしていました。

特徴欄は心当たりがありすぎる文章でいっぱいでした。特に「言語能力が高く処理速度が低い場合、話をしていると理解しているように感じるのに実際の作業はなかなか進まず、手を抜いてるのかなと誤解される」「実際よりも能力が高いと誤解されやすく、周りから能力以上のことを求められる」も、自分自身に対してそう思う傾向があるので腑に落ちました。

頭での理解には長けているが、実際はめちゃくちゃキャパ少ない

簡単に言うとそう書いてありました。なんとなく今まで感じていたことが、今回はっきり検査結果として見ることができて、勘違いじゃなかったんだ!生きづらさはここにもあったんだ!と思いました。

自分の特性を知ることができたので、受けてよかったです。自分のキャパに見あった生活にしていけるよう、人生計画の指針にしようと思います。

カウンセリング(7回目)

こんにちは、とけちるです。

今日はカウンセリングでした。

3月は怒涛の体調不良があり、4月もちょっと熱出たりしましたが、精神は落ちないよう気をつけてて。

仕事は辞めることになったけど、できることをやろうということで、体力づくりも兼ねてダイエットを始めて、毎日運転して外に出歩いて気分が塞ぎ込まないようにして。

でも、そうして徐々に体力や気力が回復していくと、もっと頑張りたい、早く娘を迎えに行きたいという思いが強くなって、やる気に自分のキャパが付いていけず...

という感じで最近の心境を吐露しました。

娘にしてあげたいことがたくさんあって、でも、どれも今のところ叶えられるかわからなくて、そんな自分が嫌になる。

うつは、治りかけが1番自殺率が高い。

わたしも今、上り調子なのでその気持ちがよくわかります。

やる気が回復してきた今だからこそ、自分の無力さが憎い。

「やる気があることは素晴らしい。まずはそのやる気を環境調整の方に集中させましょう。気持ちを落とさず、維持することが大事です」

と、仰っていただきました。

維持。わたしが1番苦手とする分野かもしれません。

でも、それができないことには育児はできませんもんね。

「良くなくていいから、悪くない日を送る」を意識します。

毎回カウンセリングのあと今日はこんな話をしてこういうふうに言ってもらったよとのーさんに報告するんですが「まぁ確かに骨折した人がいきなり走るのは無理だよね」と言ってました。

心は目に見えないのでそういうふうに例えてもらえると腑に落ちる。

でもわたしはバリバリ走りたいしなんなら全然苦しくないよみたいな顔をしたいんですよね。

「したいこと」と「できること」と「やらなきゃいけないこと」が噛み合ってないとしんどいなぁ。

道のりはまだまだ長いです。