とけちるのブログ

今までのこと、日々のこと、思うこと。

亡霊を撃て

先日、以前から気になっていた「毒親サバイバル」という本を買いました。

11人の様々な人生が描かれていて、わたしとしては共感もあり参考にできるところもあり、やっぱり買ってよかったので、のーさんにも読んでもらいました。

その後、親子関係についての話をしていて、その中で「そういえば父との関係でももやもやが続いてて...」という話題になりました。

というのも、父に初めて言葉が通じた日があり(※過去記事参照)、わだかまりは残ったものの父の言い分もそのとき聞けて、もしかしたら関係が良くなるかもしれない。それなら、今まで無視していた連絡も、無視せず取らないといけないと思ってて、ついこないだわたしの誕生日に父から電話があったのでした。

そのときの内容は体調はどうか等のありふれたもので、しかしその中で子育てについて口出しがあったりして、わたしは父に拒絶されるかもしれないという想像しかできず、自分の気持ちを全く言えずに、気を遣っただけの電話で終わってしまってとても疲れたのでした。つまり和解する前と全くやりとりが変わってなかったのです。

その一方的で気遣いの感じられない言葉からは、やっぱり父はわたしを見ていないのでは?愛がないのでは?どうしていつまでもこんなに苦しいんだろう?と最近とてももやもやしていまして。

それを話すと、のーさんは愕然としました。

「子供を優先せず、自分のことしか考えてない。そんなのは親じゃない。家族じゃない。許さなくていい、怒って、罵って、こちらから捨てていいものなんだよ」とのーさんに言われ、今までも何度も何度も捨てようとして、それでもずっとポケットの中で握りしめていた呪いがあることに気づきました。捨ててしまうと、本当に家族でなくなってしまう。1人になってしまう。わたしはずっと家族の幻想に縋っていたのでした。

「そろそろ、楽になってもいいんだよ」

のーさんの言葉が胸に響き、わたしは思いつきました。アダルト・チルドレンとしての自分を背負っていくことは考えても、決別するという選択肢がありませんでした。今までどう切り離して、割り切って、捨てればいいのかわからなかった。わたしはひとつの答えを出しました。

それが『お別れ会』です。今までの良かった事、悪かった事、全部、棺に入れます。そのひとつひとつに、花を添えて、今までありがとうと告げて、火を焚べ、葬り去る。

めっちゃ心残りあります。「普通の親子」を経験してみたかった。父母に、親らしさを求められないなら、せめて一個人の人間同士、尊重しあって生きたかった。諦めたくなかった。でもその気持ちとも、もうお別れ。

思えば祖父母が亡くなり、のーさんに出会い、義父に拾ってもらって実家からの亡命が叶った時点でわたしは人生を捨てるべきでした。家族なんてものはそもそも最初から存在してなかった。わたしが作り上げた幻想しか最初からなかったのだから。

お別れ会は全ての思いを認めた手紙を書き、それを燃やすという手段を取ろうと思います。

そして、今そばにいてくれる・自分を大事に思ってくれる人を、もっと大事にしないといけないなと思いました。

「家族はここにいる。どんなことがあっても、そばにいるから」と言ってのーさんはわたしを抱きしめました。わたしはそのとき「当たり前に愛情をもらってきた人は当たり前に愛情を与えることができるんだなぁ」なんてぼんやり考えていました。いつかわたしものーさんのようになりたいです。